昨夜は明け方まで起きていてそれから昼過ぎまで寝た、、、実は映画の見過ぎでまだ少し頭痛がする、、、iPadの小さな画面を8時間近く見詰めたんだから当たり前だよな、、、LEOも訪問者の車のタイヤに噛み付く悪習が治らないので繋がれっ放しで悪タレて側で不貞寝してる、、、

昨日の昼食の時、iPadを開いたらNetflixから「アンという名の少女」という映画の広告が目に付いたので「原作は赤毛のアン」かなと思って開いてみたら、これが面白くて目が離せなくなったんだ、、、
「赤毛のアン」については特別な想いがあってね、、、漢字が全く読めない幼少期に父が「戦国武将伝」という本を買って来てくれてね(俺はその頃戦争ゴッコに夢中で玄関の傘立てには傘よりも俺の木刀や槍の方が沢山刺してあったんだよハハハ)、、、
昔の本は漢字に読み仮名がついていたから意味が判らなくても読む事はできて、、、それで段々意味も分かってくるわけだ、、、それは戦国時代の色々な武将が知力胆力を尽くして戦い抜いた物語なんだが、俺は学校教育は全く合わなかったんだが、その本のお陰で読解力は案外早く付いた、、、
俺には歳の離れた姉が2人いて、彼女たちは文庫本を収集していたので、俺は小学生の頃からそれを引っ張り出して読む事が多かった、、、しかし女学生が集めた本だから戦いや冒険が好きな俺にはそんなに興味を持てる内容は少なく、名作物語りも真価が判らずしばらく読み進めて放棄する事が多かった、、、しかし「赤毛のアン」は何故か飽きずに読む事ができて、確か2、3回読んだんだよ、、、
もう50年近く前の話だがねハハハ、、、それが初めて「赤毛のアン」を読んだ時の想い出でね、、、2回目はそれから20年後の俺が42歳の時、、、その時俺は刑務所に収監されていて獄中で父の『死』を知らされた、、、俺は父を失って初めて父が常人とは桁外れな意識状態で生きていた事に気づき、生きている間にそれについて問答すれば良かったと後悔していた時期だった、、、そんな時、刑務所の図書館で古ぼけた単行本の「赤毛のアン」を見つけたんだ、、、それで幼少期とはまた異なった感慨と共に赤毛のアンを再読した、、、
昨日「アンという名の少女」というNetflixの映画を見始めて最初から引き込まれてしまってね、、、映像も演技も構成も、まあ俺の思い入れがあるだろうが凄く秀逸だった、、、内容は原作とはかなり違ったところもあるが、それはほとんど違和感がなく、、、何というか心が洗われるというか、、、損得勘定で生きる人間社会に激しい抵抗を受けながらもそれに惑わされず純粋な心で生き抜いていく主人公の描写が実に爽やかなんだよ、、、
物語の中で、黒人同士の男女が再婚して赤ちゃんを授かるんだが、妻が若い過ちで産んだ息子が成人して密売人になっている事情があって、新家庭にこの不良息子が訪ねてきて初めて異父妹と対面する、、、不良息子が妹を抱けと勧められるが、「俺が抱いたらピカピカの赤ん坊が汚れる」と言って尻込みするシーンがあってね、、、俺は咄嗟にレナリを想い出した、、、
レナリの実母が懐妊した時、師父は俺と『ich-i』でレナリを育てるよう指示された、、、それで俺と『ich-i』がレナリを引き取って豊田市でレナリを育て始めたんだが、実を云うと俺は内心自分にこの汚れがない天使を育てる資格があるのかと自信が無かったんだ、、、既に3人の息子を世に送り出した俺だが実際には自分を教育できない俺が息子を教育できるはずもなく、惨憺たる親子関係に終わっているからなんだ、、、だからレナリを抱く際もこの物語りの不良息子のように、無垢な赤ん坊を前にすると言い知れぬ畏れに襲われていたんだよ、、、だからレナリが『ich-i』に抱かれていると凄く安心したが自分が抱いているとどうしても不安感を拭い去れなかったんだよユウジ、、、
この映画を観ているとそんな俺の内面の痛みや願望を次々と刺激されてね、、、それで無謀にも頭が痛くなるほど映画を見続けてしまったワケだハハハ
さて頭痛も治ったしレナリ部屋の草壁を完成させてしまおう
