
お灸のことをまだ話してなかったなユウジ。
俺は46歳の時(もう25年経ったんだなあ)、、、肝臓ガンを患ってね、、、病院から抗ガン剤治療を勧められたんだが、医師をやってる親しい後輩に相談したら、抗ガン剤は身体も痛めるし、実際のところ何をやっても進むガンは治らないと云われた、、、それでもう年貢の納め時だと諦めていたんだ。
ちょうどその頃『あの方』に出会ってね、、、俺は初めて会った瞬間になんだか矢も盾もたまらない気持ちになって「一体俺たち人間はナニをやってるんですか?人間という存在に意味があるんですか?」と問うたんだよ、、、そしたら彼は静かに「土に触れる生活をしなさい。そうすればあなたの疑問が氷解する時がくるよ。」と云ったんだ。
それから2人で、水が良くて汚染されていない土地を探しに回った、、、当然過疎地という事になるが、越前海岸近くの山中でゴルフ場目的で買収が進み途中で放棄された土地を見つけた、、、しかしゴルフ場目的だからメチャクチャ広い、、、それで俺が「先生、実は肝臓ガンで医者から後2年くらいと云われてるんです。こんな広い土地、、、開拓してる内に死んじゃいますよ!」と告白したんだ。
そしたら「そんなものお灸すれば治るよ」とサラリと云うので、俺は馬鹿馬鹿しくなってその日は帰ったんだが、家に戻ってから『あの方』があまりに当然のように「そんなものお灸で治る」と言ったのが頭から離れず、翌日出かけて行って「先生、昨日仰っていたお灸ですが、やって貰えませんか」と、頼んだんだ、、、そしたら「ウーンあれは特別なモグサが必要でね。いまそのモグサが無いんだ。まあ長生きばかりが良いとは限らないからねハハハ」と笑うんだ、、、俺はせっかく諦めていた命が惜しくなって頼んだら「モグサが無いからできない」ときたから腹が立ってね、、、その夜はタチの悪い連中と呑みに行ったんだ。
行きつけのワル連中が集まる韓国クラブに行って苦い酒を呑み始めたが面白いはずがない、、、そしたらママが「マエタ(前田)さん、ニューフェイスを紹介しますからご機嫌直してクタサイ」と云って若い娘を側に侍らせたんだ。
その娘はヒジョンという名で、日本に来たばかりだが在学中に日本語をマスターしたという事で、話してみると会話に不足は無かった、、、韓国のどこから来たのかと問うと、ソウルから来たが生まれはカンファー島だと云った、、、カンファー島とはどんな処かと問うたら、驚いたことに「モグサとニンニクの有名な処です」と云うんだよユウジ!、、、俺はいっぺんに酔いが覚めてしまい、カンファー島とモグサの事を詳しく話してくれと頼んだんだ。
ヒジョンの話によると、カンファー島にはマニ山という高い山があって、5000年前、そこに住んでいた虎と熊は人間になりたくて神様にお願いしたという、、、神様は虎と熊に「ヨモギとニンニクを持って山の洞窟に篭り、3ヶ月祈ったら人間にしてあげる」と云ったそうだ、、、しかし虎は我慢できなくて途中で外に出てしまい、熊は最後まで篭って凛々しい若者の姿で洞穴から出てきたそうだ、、、その若者は地方豪族の美しい娘と結婚し玉のような赤ん坊を産んで、その子がいま神話で語られている檀君という王様で東アジア全域を統一した王様になった、、、以来朝鮮半島に虎は生息し続けたが熊は人間になったからいないという話だった。
俺はその話を聴いて『あの方』が云っていた特別なモグサはきっとこのカンファー島に行けばある思った、、、それでその場でママを呼んで「この娘をしばらく貸して欲しい」と、頼み込んだんだ、、、その場は娘の不思議物語と真剣に耳を傾ける俺の様子で呑み会の雰囲気ではなくなり、渋るママや呆気にとられるワル連中も、俺の尋常でない様子に気圧されて結局その娘の前借り金を支払う事で話を付けたんだ。
数日後に俺はヒジョンを連れて韓国に行った、、、レンタカーを借りてカンファー島に行き、『あの方』に教えて貰った「良いモグサ」を探し廻ったんだ、、、良いモグサとは5月中旬の最も草木の勢いが強い時期に刈り採った蓬を3年間陰干しして、それを手で揉みしだいて作ったモグサだ、、、カンファー島では至るところにニンニクと朝鮮人参と薬用マッコリが売られていて、大抵モグサも置いてあったが、ヒジョンも俺が命懸けだと承知しているので、どうやって作ったのか真剣に尋ねた、、、どうもそこまで丁寧に作られたモグサは見当たらなくて、島の先端部分まで行った処で燃料が無くなったきた、、、それで小さな手回しの給油タンクのスタンドに入って、給油がてら本物のモグサがある処を知らないかと尋ねたんだ、、、そしたらスタンドのオヤジが「ああ、それならトンガン里の李先生だ。トンガン里はこの先の脇道を海の方に降って行って、海に中の堤防の道が小さな島に続いてるから、その島にいるよ」と言うんだ、、、それで早速行こうとしたら「今は潮が満ちてるから渡れないよ。明日朝早くに潮が引いて、そしたら堤防の道が現れる。」と云う、、それでその夜は近くの木賃宿に泊まった。
翌朝早くに脇道を下って行ったら、潮が引いて一面泥の海、、、そこから水蒸気が立ち昇って霧が発生し、霧の中に真っ直ぐに石垣でできた細い道が浮き出ていた、、、俺たちはソロソロと車を進め小さな小さなその島に入ったんだ、、、島はひとつの小高い丘で、グルリと登り道を登って行くと数軒の農家があってそこが行き止まりだった、、、その広場に車を置いて、徒歩で反対側の海に沿って谷があり、その谷を降りまた丘に登った処に崩れかけたふた棟の廃屋があった。
村人に尋ねると李先生はそこに住んでいるという、、、俺とヒジョンはその谷の細い獣道を歩いて廃屋に向かったが、上に辿り着いたところで谷の下から身体全体が痙攣している男性を肩で支えながら坂道を登ろうとしている老人に気がついた、、、見たところとても登りきれない様子なのでしょうがない下に降りて老人と2人がかりでその痙攣が止まらない痩せた男を担ぎ上げたんだ。
手前の廃屋の戸を開けると中から李先生が出てきた、、、中肉中背の物静かな男で昔風の着古した朝鮮服がよく似合っていた、、、それで今到着した痙攣男が先約だから、治療が終わるまで待ってくれと云われた。
2時間ほど経ってようやく痙攣男の治療が終わり、俺とヒジョンは中に入ってモグサが欲しいと頼んだんだ、、、どれくらい欲しいかと云うので、『あの方』への土産にもしようと思い、傍にあった米袋を指差してこれに一杯くらい下さいと云った、、、李先生は即座に「150万ウオン」と云った、、、そしたらヒジョンが立ち上がって外に俺を引っ張り出し「高すぎる、あなたが日本人と思って吹っかけてる」と云うのだ、、、しかし俺はそうでもないと思った、、、日本円で15万ほどだったが、先ほどの2人組の様子から推察して極貧者である事は確かで、もし誰からも高額の治療費を取るなら彼らのような貧乏人は治療に来れないはずだと思ったんだ、、、貧乏人には安く金持ちからは高く取るならそれはそれで良かろう思って「いいから云うだけ払ってモグサを持って帰ろう、、、おまえの前借金から見れば安いもんだ」と云ったらヒジョンもそれには反論できず、汚い袋にモグサを詰めてソウルに戻った。
ホテルに入って目的のモグサも手に入ったと喜んだが、ふと思いついてヒジョンに「オイ、あの痙攣してた2人組帰りはどうやって帰ったのかなあ?」と尋ねたら「アッそう云えば帰りはスッスッと帰っていったわ、、、ヤッパリお灸効いたのかしら!」と云うので俺も感心し、同時に「これは李先生に治療して貰うのが良いようだな」と思ったんだ、、、、せっかく良いモグサを持って帰っても『あの方』に「やはり早く逝った方が良いよ」なんて云われたら目も当てられないからなああ、、、それで翌日またトンガン里に向かった。
李先生にここで治療してくれと頼んだら「21日間やるがどんなに苦しくても決して途中で止めないなら治療する」と云われた、、、俺は覚悟を決めて「やります」と返事した、、、初夏だったが身体を冷やさないよう汚い敷布団の下には暖房 が入っていて、そこに腹を剥き出しにして仰向けに寝かせられた、、最初は米粒くらいのモグサを臍の上下二ヶ所に載せて線香で火をつける、、、燃え尽きるとまた載せて火をつける、、、段々モグサの塊を大きくしていくのだが、1時間もするとモグサも大きくなってるからトンデモナク熱くてなあ、、、呻き声を出さずには居られなくなるんだ、、、
お灸と云っても一般的なもんじゃなくて 、円錐形に固めたモグサが大きいからとにかくメチャクチャ熱い、、、熱いというか痛いんだ、、、モグサのテッペンに線香で火を付けると円錐の外側が上からジリジリと燃えてきて黒く炭化してゆく、、、だんだん熱くなって火が皮膚に達すると物凄く熱い、、、それから火が円錐の内側に回って円錐の内部が燃えるんだが、、、全体が燃えて白い灰になるまで地獄の熱痛がつづく、、、それを何度も何度も繰り返すんだ、、、いつも午後1:00から3時間くらいかなあ、、、終わるとしばらく横になったままヒジョンの通訳で李先生とよもやま話をして、夕方近くの定宿に帰った。
李先生は俺よりひとつ年上で朝鮮戦争で孤児になり、マニ山の修験者に育てられたそうだ、、、マニ山は今でも修験道の霊山で修験者が何人も住んでいて病気治療をやったり予言したりして生計を立てているらしい、、、まあ日本の恐山みたいなものかなあ、、、李先生も修験者に育てられたので、霊能修行をしたが、祈祷で病を治しても、どうも後からぶり返したり他に何か別な病を発したりして疑問を持つようになったそうだ、、、それで古来のお灸を使うようになったと云ってた。
ヒジョンが夕食を食べる田舎食堂を見つけて、宿に帰る途中毎日そこへ立ち寄った、、、青魚や緑豆モヤシや小麦製品など、陰性の食べ物は禁止されていたので食堂のオヤジにそれらの食材は使わないよう頼んだら「李先生に治療して貰ってるのか?」と問われた、、、それをキッカケにオヤジは李先生があの辺鄙な小島に隠棲している事情を話してくれた。
李先生は以前はカンファー島の街に治療院を開いていたそうだ、、、それで県の保険部長が何かの病気を李先生のお灸で治して貰って非常に感心して、当時韓国の軍人がベトナム戦争で枯葉剤を浴びてたくさんの人が白血病を発症していたので、その患者を連れてきたそうだ。
連れてきた保険部長は不治とされた白血病患者が次々治るので、お灸に夢中になり、県を退職して李先生に習ってお灸治療を始めたそうだ、、、それで県庁の幹部だったから新聞記者にこの話をしたらしい、、、それが記事になって大勢の難病患者が押し寄せる騒動になったとの事で、オヤジは当時の新聞記事の切り抜きを持ち出してきて見せてくれた。
ところでその元保険部長はその騒ぎの途中頓死してしまい、李先生はお灸騒ぎが嫌になってあの小島に隠棲したという事だった、、、
翌日治療が終わってから、李先生に食堂のオヤジから経緯を聴いたと話し、「保険部長はなぜ頓死したのですか?」と尋ねたら、「重病患者にお灸する時は同時に二人はやっちゃダメだと云ってあったんだが、彼は数人寝かせておいて同時にやった」と苦々しい顔で教えてくれた。
そう云えば、俺がお灸を始めて2日目、お灸の熱痛で噴き出る汗を拭き取っていたヒジョンが急に青ざめてきた、、、それで李先生が「ちょっと外に出てなさい」と云うので、ヒジョンが立ち上がろうとしたが腰が抜けたようになって這って玄関まで行った事があったんだ、、、俺は足が痺れたのかと思ったが、李先生の話では大きなお灸をすると患者は周囲から精気を吸い込もうとするので、側に居る者が精気を吸われる事があるそうだ、、、その話を聴いてヒジョンは震え上がり、お灸の間は外で待つようになったんだよハハハ。
ヒジョンの通訳で李先生とは色々話せて面白かった、、、その頃韓国のテレビで連日老子を講義する一風変わった学者の番組があって、俺はその番組をヒジョンの通訳で視聴するのを楽しみにしていた(ヒジョンは韓国語も日本語も語彙が豊富でその点ではホステスさせておくにはもったいないレベルだった)、、、この学者は野人というか飾りのない在野の学者で、日本にも俺が20代の頃、小室直樹という社会学者が現れて、この人は社会学の範疇などには治らない学者だったが、マスコミは変人扱いだったなあ、、、その点では韓国のテレビの方がレベル高いと思ったなあ、、、で、李先生とその番組に関連して道(タオ)についてアレコレ話すのも楽しかった。
お灸は21日間という事だったが、18日目でどうしても日本に行かなければならん用ができて、李先生も「自分でやれる」と云うので急遽帰国した、、、もちろんお灸は自宅で続けたわけだが、最後の21日の午後、お灸を据えていたら胃の裏側の背中の中がねじ切れるような激しい痛みに襲われてね、、、もう痛くて痛くて堪らない、、、ヒジョンは韓国の実家に留まっていたので李先生に連絡するよう頼んだのだが、全く電話が通じないという、、、それまでも傷口が痛む時は蓬を入れた風呂に入ると痛みが和らぐと分かっていたので、、、這って風呂に入ったんだ、、、そうだなあ3,4時間苦しんだかなあ、、、それで痛みはス〜っと消えた。
それから毎日傷口から青い膿がたくさん出てね、、、傷口が塞がるのに2ヶ月かかった、、、病院に行って調べたら肝臓のガンは跡形も無く消えていた。
ユウジ、長い話になったが、これが俺のお灸体験だよ。