坊主の墓無用論

坊主の俺が「墓は宗教が産んだ最大の詐欺だ!」と云ったら、宗教界から総スカンを喰らうだろうな、、、でも本当だからしょうがない。

ユウジ、君は死んだらあの冷たい石の下に籠りたいかね?モチロン「嫌だ」と云うだろうな。

じゃあ君の家族や大切な友人達が死後あの冷たい石の下に籠って欲しいと願うかね?モチロン「嫌だ」と云うだろうな。

じゃあ、君の敬愛する御先祖様の霊が、もしあの冷たい石の下に籠っているとしたら、、、これはまことに悲惨な話じゃないか、、、、、?

ユウジ、奇妙に思わないか?誰もが自分は入りたくないと思っている「お墓」というものに、世間の人々は死んだ者は誰でもそこに籠っているものとして扱うこの風習は何だと思う?

ユウジ、墓の起源を考察してみればその答えは明白だ。考察と云っても考古学的に難しく考える必要はない。俺が云ってるのは古代に墓を作り始めた連中の動機を考察しろという意味だ。彼らは権力者が死んでその座を継承した者達だ。彼らは亡くなった先代の威光を利用せんが為に立派な墓が必要だったのだ。先祖が立派だったと宣伝すればするほど継承者である自分も立派だと宣伝することになるからね。現代だって先代社長に立派な墓を建てて、社員を引き連れて墓参りする企業家も多いじゃないか。競争社会を乗り切った功績を尊敬するのは勝手だが、それほど苦労して一生を捧げて、その結果が「あの冷たい石の下」だとは、、、たとえ仮定としても悲惨な仮定だと思わないか?

少なくとも「自分という存在の意味を求める者」なら、墓など欲しがるはずもないし、わけのわからん周囲の者が勝手に建てたとしても、そんなもの一顧だにせず行くべき次元に行くだけだ。墓も葬式も残った連中と坊主の欺瞞だよ。

俺は数年前に越前海岸の山上にある僻村を訪ねた。その時に村の入り口に傾いた数基の古墓が立っていて、それを眼にした瞬間「こんな馬鹿げたモノはすぐ取っ払え!」という天の声を耳にしたのだ。それで俺はそれまで俺を縛っていた「世間常識」「観念」というガラスの壁が割れて自由になったのだ。

先祖供養が云々と世迷いごとを云う奴にはこう云いたい。「真の供養(祈り)は独りでするものだ。」と!イエスは「人前で祈るな」と云ったらしいがそれは本当だろう。奇妙な作法やしゃちこばった経文など唱えて何が供養になると云うのだ!真の祈りが何かは坊主ならずとも人間なら自分の心を覗いて見ればすぐ解るはずだ。

仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。

これは梁塵抄という平安末期の歌集にある今様だが。俺なりに「仏」とは「本然の自分」と解釈していて、俺の好きな歌のひとつなんだ。詠み人が仏を求める切なる想いを感じるじゃないか。それは人気の無い暁にこそ仄見えるのだ。大勢の人前で、高価な絹の衣装で実践しようともしない経文を詠んで何が供養になるというのだ!

とは云え、迷っている連中が多勢いる事は事実だ。ユウジ、幽霊はいるよ。嘘だと思うなら夜中に独りで墓場を歩いてみれば解る。滑稽なことに死んだら墓に入るものだと思い込んだ連中は、本当に墓の下に籠るのだ。ユウジ、宗教の罪は大きいよ。坊主も神父も偽善者でペテン師だよ。少なくとも道を求める者なら葬式や法事など(それも金取って)恥ずかしくてできるはずがない。

ああ、ユウジ相手に毒気を吐いたらスッキリしたわ!もし俺の毒気に当たって気分悪くなったら、レナリ塩でキンタマでもマッサージしてくれ!

独り仕事

スペインに来て3週間が過ぎた。

工事はずっと独り仕事だが、まあ手間はかかるが色々工夫して思い付くままにやるのは面白くもある。もちろんゆうも助けてくれているが、電気も水道も無いところから始めているので、炊事洗濯だけでも大変だ。生活維持で精一杯だし、合間を見て(株)貊村のパソコン作業もあるからね。(下の写真、作りかけの作業場の向こうに見えるのが台所だからなあ!炊事係も大変だ)

工事の方は崖に登っての力仕事だから女性では無理だし危険だ。スコップやハンマーにしても、重くて日本女性が使えるような物はない。作業に慣れない彼女に気を配っていると俺も集中出来ないので、この作業は独り仕事にしようと決めたのだ。

ずっと雨と霧の日が続いたが今日は午後になって晴れてきて、なんとか作業小屋に仮設シートを掛ける事が出来た。スコットランドランド以来俺の手足になってくれた機械工具類も此処に運ばれてからずっと雨ざらしだったが、ようやく雨露をしのぐ場所が出来たわけだ。もっと大切に扱うべきだったが状況が許さなかった。可哀想な事をしたよ。

錆びついた工具たちが陽光を浴びて喜んだので俺も嬉しくなった。

良い天気で喜んでいたが、シートを張り終わった夕暮れ(と云ってもコッチの日没は午後9時だが!)になったらまた冷気と霧が襲ってきて、慌ててテントに駆け込む。

スペイン南部は乾燥していてスコットランドで悩まされた水虫はここ数年大人しくなっていたのだが、此処に来てから再発。まあ標高650メートルの山地で、こうも雨と霧では水虫も元気出すわなあ〜それでレナリと貊塩を混ぜたものを患部に塗ったらこれが効きめ抜群。足の小指の間が荒れてシクシク痛む状態が3日で治ったよ。それでゆうにこの「貊塩+レナリ」オイルを身体に塗って繕身法やってもらったら本当に疲れが吹っ飛んだ!

特に足先と股間(陰嚢)をこのオイルでマッサージすると効果テキメンだ。(足先はともかく股間は流石に自分でやったがね!)足裏と股間は身体から毒気を排出するポイントだと師父から教えられていたが、本当に「レナリ塩」は良いよ!パソコン仕事は毒気を貯めやすいから、風呂に入った時、是非試してごらん。君の腐りかかったキンタマから毒気が抜けていくのを実感できるだろう!ハハハ

 

 

作業小屋

平地が出来上がり、なんとかテントを張って寝起きする場所は出来たのだが、煮炊きできる炊事場を作らねばならず、6000円ほどで簡易テントが売られていたので、これは手軽だと買って帰ったが

ちょっと強い風が吹いたらパイプが折れて倒壊!安物買いの銭失いだった!毎日、雨、風、霧で泣かされてる。

やはり、まず作業小屋を作って、まともな仕事ができるようにしないとダメだと思い直し、それで廃屋のそばの斜面と平行に残っている炭焼き小屋の残骸を利用して、作業小屋を作る事にした。材木が高価で長い梁や桁など買えないし、買っても運べないから、この石壁の残骸と右側の斜面との間に、山に生えてる木や廃材を渡して屋根をかけるのだ。

廃屋から引き摺り出した古材はボロボロに腐っているが、芯はしっかりしているのが不思議だ。

そういうわけで、今日は朝8時から夕方9時まで目一杯頑張った。とにかく重過ぎてとても俺ひとりでは動かせないからユンボが本当に助けてくれる。桁材や柱材は重心を見極めてユンボで吊り上げ、端に手綱を付けておいてそれを操りながら所定の位置に収めていく慎重な1人作業、、、「ケンも1人作業の時は多分こうやって重量物を動かしてるだろうなあ」、、、彼が地球の反対側で同じような作業してるかもと思ってチョットひとり笑いした。

上の写真は俺がユンボの運転席から吊り上げた重い材木の手綱を操りながら自分で撮った写真だ。

ところで俺はこうしてスペインの山中で棲家を作っていて、もしかしたら地球の反対側でもケンが同じような作業をして、、、多分ユウジもその頃パソコンで仕事していて、、、殆どの人はそんなふうに、まあ一生懸命頑張っているわけだが、、、本当にみんなはナニやってるのか考えてるのかなあ、、、本当に自分はナニやってるのか?

アメリカのトランプも、日本のアベも、本当に自分がナニやってるのか考えているのかなあ?

真剣に自分がナニやってるのか考えている奴がいたら、そんな男(女でも良いが)なら此処に来てくれても良いと思う。

ユウジ、俺はそれに気づいた人達の聖地を創るぞ!

 

北朝鮮問題ニュースの怪

今日は車で2時間のオビエドという街まで足りない資材を買いに来た。

数日雨続きで、風呂にも入ってないし洗濯物も溜まっているので、B&Bに宿をとって、バスタブに湯を張って垢を流しユックリしてる。久しぶりにニュースを見ると、北朝鮮と韓国の首脳会談一色だ。ソ連崩壊、中国の資本主義化と台頭に次ぐ大変化の兆しだな。

ところでまことに奇妙なことだが、メディアも人々もこれまでアメリカと北朝鮮が本当にケンカしていたと思っていたのだろうか?

ユウジ考えて見ろよ、俺は今スペインの山の中にいるが、例えば一静が俺からの連絡が途絶え、心配になって警察に駆け込めば1時間もしない内に俺の所在など数メートルの誤差で調べることが出来る時代なのだ。米国が金正恩を消したければ、最小のミサイル1発であっという間に消し去ることができる。今どき国家元首が通信手段を手放して移動することなどできないからな。そんな事は北朝鮮だってもちろん知っているはず。そんな時代に米国の了解なしに核ミサイルを用意できるだろうか?本当に米国と敵対したらいつミサイルが飛んでくるか知れないし、実際とっくに殺されているはずだ。この騒ぎは北朝鮮の核脅威を煽る事で誰が利益を得るのか、、、考えなくても明らかじゃないか。ミサイル脅威や南北戦争の脅威など茶番だよ。まあ、日本は完全に蚊帳の外で、実際これほどアメリカにバカにされた日本はこれまで無いことだ。

俺が理解できないのは、そんなことくらい気がつくはずのジャーナリスト達がどうして茶番に付き合っているのかだよ。愚昧な一般民衆がニュースに踊るのが面白いのだろうか?それとも長い物には巻かれろという自己保身なんだろうか?それとも受験勉強に続く長い定形教育に洗脳されてしまって本当にそう思っているのだろうか?3つの内のいずれかだと思うが、、、まず哀れな連中だなあ。

俺が此処で新天地を創るような事を、少年のうちから数年やれば、もっとマシな人間になるだろうなあ、、、まあそんな根性のある少年も今時少ないだろうが。

政治の事などどうでもいいが、あまりに無知で踊らされるのも可哀想だな。

イカンイカン、時間が余ると余計な事に気をとられる。

廃屋再生

ユウジ、実にどうしようもない廃屋だ!元々は二階建ての結構高さのある建物だが、屋根に敷いてあった石板がまだ所々残っていて危なくてしょうがない。登るに登れないし、、、外側からユンボで突き崩そうと思ったが、、、、、鉄筋の入ったコンクリート造りでもなく、ただ石と土を重ねた石積みだから、壊すのは簡単な作業なんだが、、、テントを張るどころか車中泊する為の平地も無いので、平地を造成するついでに、この廃屋を崩して此処も更地にしようと思ったのだが、どうも気が乗らない。

ユウジ、俺は決心したこの廃屋を生き返らせるよ。大変な作業だが、俺が此処に来たのは本然の自分に帰る為で、おそらくこの労働がそこへの近道だと感じたからだ。今朝の未明、俺はそれを天の声と受け取った。

ユウジ、俺はこの廃屋を再生する。ヘタクソな素人が積んだ石積みの家だが、この11メートル×8メートル×7メートルの石壁を100年前黙々と積んだ農夫の事を想ったのだ。この山奥で牛を飼い小麦を作って一生を送った農夫は、おそらく世渡り上手では無かったに違いない。しかし俺はこの石壁を黙々と積んだ、彼の労働に敬意を払うのだ。俺は100年前の農夫が無言の内に示す「労働の尊厳」を引き継ぐのだ。

ところで改修と云っても、半分の石積みは歪んでいるので積み直さなければならない。それで屋根に所々残っている石板や梁を取り外すわけだが、7メートルの高さだし、腐っているから登っての作業は無理だ。それで建物の傍に3メートルくらい土を盛って、その上にユンボを上げて、ユンボと人力(人力と云ってもゆうしかいないわけだが!)でつまんでは外していく事にした。

わかるかな?

上は右斜面の岩盤を削り始めた写真。下は削り取った土砂を左側の建物にくっ付けて積み上げている途中の写真だ。

廃屋の薔薇(イバラ)

俺は寺に入ってからあちこちで道場を作り、その後農哲学院の拠点も作ってきた。いずれも廃屋を改修したり、僻地の開拓だったりしたが、どこも薔薇や刺草(イラクサ)など棘のある草や蔓で覆われている。

此処は特に酷くて鋭い棘がビッシリ生えた蔓が縦横無尽に茂っていて、まるで俺を追い出そうとしているみたいだ。いや、「みたいだ」じゃなくて、確かに人間の侵入を拒んでいる。

ユウジ、人間が切り開いて放置した場所には必ず最初に棘のある植物茂る。これは傷ついた大地を再生するために、まず人や動物の侵入を許さない為だ。そうやって自然は色々な植物が繁茂するのを守るわけだなあ。

それを見ると、俺はいつも「此処を開いて良いのだろうか?」と、自問してしまう。いかに生きる為の場だと云っても、大地に鍬を入れることそのものが、大地を傷つける行為であることは明らかだからなあ、、、、、。ユウジ、人間とはつくづく因果なイキモノだなあ、、、。

テントの基礎造り

 

廃屋の側に、なんとか8メートル×10メートルくらいの平地ができたので、ここにテントを設営する為の基礎を据える。床板を地面から浮かせないと板がすぐ腐ってしまうからね。

とにかく雨露をしのぐ場所が全く無いから、道具類も炊事道具も雨晒しでなあ!こちらのシートは本当に不良品で、すぐ破れてどうしようもない。日本の1番安いブルーシートより水を通してしまう。

テントは英国製の安いヤツをゆうがネットで買った。5万円くらいなのでどれだけ保つか、、、とにかく夏過ぎまではなんとか暮らせるようにしないとなあ。

斜面造成

テントを張るにも平地が無いから、ユンボで斜面を切り盛りして台地を造る。

当分テント暮らしになろうから、板床を作ってその上にテントを張ることにした。此処は南部とは違って雨も降るし、山なので霧がかかる事も多いから、地面に直接シートを敷いたのでは身体が冷えるからね。

セメントや砂、床張りの材料は2時間ほど離れた街まで買い出しだ。俺のバンは300キロ積みだから、500キロ積みのトレーラーを引いて、無理矢理1トンほどの資材を運んだ。

他の車がバンバン追い越して行く道路を、タイヤがバースしないかヒヤヒヤしながら時速120キロで走った。

昨日と今日は霧が深く、蔬路雅 では20メートル先は見えない。霧のなかで夕食。さすがに冷えて、慌てて車に駆け込んでヒーターで暖まった。

 

スタート

ユウジへ

俺がブログを書いてみようと思ったのは、君が俺の話を聴きたいと言って、ブログというものを開いてくれたからだ。

俺は君と会って「地球上で人間だけが自らの生存に必要な空気と水を汚し続けながら増え続けている、、、俺たちは、云わば地球にとってのガンみたいな存在だ。ところで君もそのひとりだが、君は人類という存在に意味があると思うか?」と問うた。もちろん君は存在にどんな意味があるかは即答できなかったが、その瞬間から俺の問いには真剣に向き合う気配は感じられた。

俺はこれまで多くの若者にこの問いを投げかけたてきたが、みなキョトンとして質問の意味すら掴めない者がほとんどだった。若者のみならず、俺と同年代の人々さえ、この質問をすると、ほとんどの人が怪訝な顔をする。しかし俺は自分という存在の意味を知ろうとしない方が訝しくてならない。そもそも人は「存在の意味」を求めて生きている動物なのに、自分が何を求めて生きているのか考えようともしないのは何故だろう。

ユウジ、俺はそんな世相が嫌になって此処に来た。天が俺の死場所(活き場所)として、この場所を用意して下さった。

天はこの地を蔬路雅 (Naroga)と名付けられたが、蔬路雅 という名には「本然の自分を取り戻す場所であり、本然の心と身体を取り戻す場所であり、本然の人間を産み出す場所である。」という意味がある。それを知れば君も俺が何を目的に此処へ来たかが解るだろう。

ユウジ、俺はもう何も話さず何も聴かず、この地で納得のいく余生を過ごすつもりだったのだ。しかし君が出発の3日前に「存在の意味を知りたい」と真剣に言った。俺は日本を発つ前に君のような若者と出会えた事が嬉しくなってこのブログというものを書く決心をした。

1人でもいい、真剣に耳を傾けてくれる若者がいるなら、日々の想いを書き送ってみようと思ったのだ。だからこのブログは云わば俺から君への手紙だが、返信はしないでただ読み飛ばしてくれ。俺は書くなら何の忖度も無しに言いたい放題を書きたいからな。

 

蔬路雅 Narogaはスペイン北部のペレイラという僻村にある。村には数軒の農家があって、山々の斜面に肉牛を放牧して暮らしてる。蔬路雅 の土地はその斜面の一部で、長く放牧もされていなかったので、全体がイバラで覆われ、人はおろか獣の侵入も赦さない土地だ。

此処には崩れかけた石積みの廃屋があるが、斜面にそのまま石を積んだモノだから残った壁も歪んでいて。これを修復して住居を造る事は出来ない。地盤は土木業界では「腐れ岩」と呼ばれる崩れやすい岩で、土地造成には地滑りし易い厄介なシロモノだ。正直、初めてこの地を訪れた時、「さすが天はお見通しだな!カルマ大きい俺にはやはり楽な余生は与えられないなあ!」と、妙に納得したよ。

俺はこの地に住むために以下の計画を立てた。

①とりあえず住む為に、テントを設営できるだけの平らな場所を造成する。

②作業小屋を作って住居を造る準備をする。

③住宅地の造成工事。

④石積みの住居建築。

これが当面の作業工程だ。僻村なので近くにアパートもホテルも無いし、そんな処に泊まっていては予算も足りなくなるから、当面は車で寝泊まりする事にした。なにしろ予算150万円で建築と生活費全部を賄おうという計画だから、ケチケチ作戦はしょうがない。

到着2日目、愛機(コマツMR30)で、とにかくテントを張れる平地造りに取り掛かった。俺がゴルフ場造成をやっていた頃は、こういう小さなユンボは「耳掻き」と呼んでいたものだが、、、今やこの「耳掻き」が大きな助っ人で、これがなかったらトイレの穴ひとつ掘れないよ!この機械は俺の義弟が買ってくれたモノで、スペインでは700万円だ。この岩山の斜面に取り組んでみると、つくづく機械の有難味を感じるわ!