敷地拡張

これから本格的に廃屋改修にかかるが、解体して石板など、資材を置く平地がないので、テントの東側を拡張した。

此処の山は通称「腐れ岩」と呼ばれる生成途上の砂岩だが、中には泥岩の層もある。どちらも硬度が低く脆い岩だが、だからと云ってユンボの爪で割れるほど柔らかくはない。これまで斜面を削るのに散々苦労して、削岩機は無いし、これじゃあ山に道を付けるのは不可能だと心配していた。

しかし昨日、これまで岩壁に対して対面で削っていたものを、テントと岩壁の間を削る時、幅がないから止むを得ず岩壁と並行に削り始めたところ、面白いように岩が起きてきた。一旦塊で起こしてしまうと、この岩は脆いのでユンボで敷均しているうちに細かく砕けて、水捌けも良いので都合が良い。

それと、この泥岩でカマドを作ったところ、火に強い事が立証されたので、これから母屋にオンドルを作る時の良い資材になる。焚き口や煙道を耐火煉瓦で作るとなると相当な費用がかかるから、これは有難い。

もしかすると御神木が助けてくれたのかも、、、岩壁が容易に切土できるようになって、なんだかこの山が俺を受け容れる気になってくれた感じがするのだ。

茶道

日本出発の3日前、茶人のGさんがお茶に招待して下さった。

場所はナント助産寺の外トイレ!

助産寺に訪問者が多くなったので、山側にオガクズトイレを作ったのだが、Gさんが非常に気に入られて、そこでお茶を供したいと云ったきたのだ。

一体トイレでお茶席とは、、、でも天は「トイレこそ聖なる場だ」と教えてくれたので、俺は然もありなんと喜んでお受けした。

Gさんも「東司(禅寺では便所を指す)は、決して不浄な場所ではありません。自然界の循環と再生を象徴する場所です。」と仰って、流石に物事の本質を捉えられている。

このトイレはユンボで深さ2メートルくらいの穴を掘っただけの簡易なトイレだが、用便後オガクズを振りかけておけば匂いもしないし、すぐ発酵して1,2年すれば良い肥料になる。特に目の細かいオガクズは抜群に発酵力があるようで、木工所の細かいオガクズを貰ってくるので助産寺の外トイレは全く匂いがしない。浄化槽の内トイレの方が浄化槽からの排水が匂うのだから、近代化も考えモノだなあ。

ところでGさんは、別れの茶会の後、携帯抹茶セットと茶の本を贈ってくれた。こちらに来てからはとにかく寝場所と炊事場を作らなければどうにもならないので、せっかく頂戴した茶も本も包みを開けないままになっていた。しかしどうにか此処で日常生活は送れるまでになったので、先日、茶の本(明治期の美術家岡倉天心著海外ではThe book of teaの題名で広く知られている。)を紐解いた。

非常に啓発されることばかりで、一気に読了した。内容を説明すると長くなるのでやめとくが、俺がこれほど打たれたのは、密かに禅は釈迦の系統ではなく(従って仏教ではなく)むしろ易経や道教に近いものだと思っていて、近年その考えが確信に変わりつつあったからだ。

この本にも老子の無為の思想が茶道に受け継がれている事が述べられていて、果たしてそれが西洋人に本当に理解されたかどうかは別として、天心が俺と近い思想の持ち主だったと知り、嬉しかったのだ。この本の存在は知っていたが、読んだのは初めてで、知り合って間もない間柄で、別れにこの本を渡してくれたGさんが、やはり只者ではなかったとしみじみこの邂逅を有り難く思った次第だ。

 

 

神木

蔬路雅 Narogaの廃屋の前にイチイの巨木が生えている。

しかし、無残なことにすぐ横に古いコンクリートの道があり、おまけに崩れかかった石垣が両側から木を挟んでいる。太い蔦と鉄条網が絡みついてこれも木を圧迫している。

ずっと気にかかっていたが、忙しさにかまけてこの巨木の面倒まで手が回らずにいた。到着以来霧と雨に祟られ、、、それで毎朝炊き上がり御飯をお供えしながら「手入れもしないで頼み事して、、、」と、思って、今日は巨木の手入れをすることにしあ。

無駄枝や蔦、崩れた石垣、鉄条網も取り払い。周囲の草も刈り取ってスッキリした。

 

この巨木はペレイラ村の歴史よりずっと古いだろう、、、スコットランドにも5000年経ったという一位(イチイ)の木があったが、この木はその半分くらいの太さがあるから、少なくても千年は経っているだろう。

右横のコンクリート道も撤去して道筋を迂回させて、村の御神木にしたいなあ!

この先大事に手入れしていけばきっと守り神になってくれるだろう。

 

道具の工夫

独り仕事で重要なのは道具だ。具合の良い道具があると作業が楽だしグングン進む。

今日は屋根から石板を下ろしたり、石壁用の石を運んだりする為の吊り箱と、石や焚き木用の倒木を引っ張り出す為の自動クランプを作った。何しろ全てが重いから、ユンボの助けを借りないとね。

重い石を満載するから頑丈に作ってある。まだ未完成で、弾けないように周りに帯鉄を巻くつもり。またクズ鉄屋だな。

うん、調子イイワ!

ちょうど作り終わったところへピラール婆さん登場。此処で獲れる蜂蜜を持って来てくれた。

此処で採れるハチミツだ。この辺一帯に咲き誇っている黄色いフローラという花の蜜らしい。作業中の俺の指を瓶の中に突っ込んで舐めてみろと云う。俺が黒い指を眺めてためらっていたら、婆さんが俺よりもっと黒い指をグイと突っ込んで舐めて見せた、、、で、俺もグイと突っ込んで舐めてみた。とても旨かった。

ボンベストーブの意識

霧と雨の中、今日も朝からガスボンベで作ったストーブがガンバッテル。

本体をガスボンベで、煙突取り付け部を消火器ボンベで、その上は廃屋の煙突を繋いで仕上げたモノだが、よく頑張ってると思わないかユウジ!

スキマだらけのホームレス小屋みたいな炊事場を暖め

洗濯物を乾かし

濡れた薪を乾燥させ

ヤカンのお湯を沸かして、、、同時に4つの仕事しているんだぞ、、、

ユウジ、写真をよく見ろ。ストーブ下部の脚が踏ん張ってるの判るだろ、、、クズ鉄屋で放置されていた時は、もう全然ヤル気無かったのに、此処に来てストーブに生まれ変わったのでヤル気出してるのを感じるだろ!格下だった消火器ボンベも、格上だったガスボンベの上にスックと立ち上がってヤル気満々だ。ボンベだけじゃないぞ。一緒に買って来た錆びだらけの大ハンマーの頭も、新しい柄を付けてやったら随分ヤル気だしてきた(ヤル気出し過ぎで俺には重過ぎるが、、、!)

ユウジ、確かに全ての物質には意識があるよ。古木を磨いていてつくづくそう思った。グラインダーをかける時、逆目にかけると木肌が荒れる。それは木の繊維には方向があって、それに逆らってカンナやペーパーをかけると、繊維が逆らって木肌が綺麗にならないわけだ。大工は経験的にそれを知ってるから、木筋に逆らわない方向を見定めて作業する。

ところで、これを意識という観点から考えると、木というもの(木に限らず物質と総称しても良い)は、個体としての総合意識と部分部分の意識があるように思うのだ。何故なら、木筋も全体が一定の方向に向かってるわけじゃなく、節に近くなったり、枝に近くなったりすると方向がマチマチになる(つまり向かってる意志が部分によって異なるということ)。そうすると部分部分によって、そこの木質の意思に沿うようにブラシの方向を合わせてやらないと上手くいかないのだ。

また、腐っている部分はブラシをかけると抵抗なく吹き飛んでくれるし、何十年も虫や腐敗菌を寄せ付けなかった硬い部分は、ブラシに抵抗して頑固に残ろうとするのだ。硬い部分は木という存在を維持して、この世で何かしらやり遂げようとする意志の現れだと思わないか。

ユウジ、俺はおとぎ話やスピ系の話をしてるのではない。俺は科学的考察としてそう思うのだ。俺たちは物質という数知れない意識の渦の中に生きてる。そして自分という意識もその総体としての無数の意識と相互に関わりながら生きてるのだ、、、ユウジ、俺は自分が何故此処に来たかが少しづつ見えて来る気がしてる。

ストーブ改良と開放型トイレ

煙突位置を間違えたストーブは、煙突を短く切って、その上に鉄板をつけ焼台とした。そして背後に煙突を取り付けた。これでよく燃えるだろうと思ったが、薪に火を付けてもブスブス煙ってうまく燃えない。どうも空気の流れがマズイらしい。それで底に穴を空けてみたら、うまく燃えるようになった。炊事場のカマドを壊してストーブ設置。随分暖かい。

画面右の白い粉は消化器の中身だ。消化器のボンベを2つ繋いで煙突にしたが、切断した時、中身の粉が猛烈に噴き出したのだ。消火器も現役で活躍できないまま廃棄処分にされて、鬱憤が溜まっていたのかもなあ〜

トイレはナロガ到着翌日にユンボで穴を掘って作ったが、とにかく寝る場所と炊事場を作るのに手間取って、トイレは作りかけのまま1ヶ月経ってしまった。

このトイレ、見ての通り開放的で眺めも良いし、眼の前には黄色い花も咲き乱れてイイのだが、、、

実はまだ全部囲ってないのだ!右前方に道路と人家が見えるので、さすがにそっちの方だけ囲ったのだが、、、忙しくてまだ囲いと屋根ができていない。一静が来たてこのトイレに案内したら、ナント言って怒るか想像して吹き出した!