アブナイ!アブナイ!

ユウジ、ご注告ありがとう、、、それともケンの意識かな?  とにかく俺は最近、独り仕事しているあいだ中、胸の中でブログのオマエとお喋りしているんだ。すると胸の中のユウジは、俺と心を通わせる数人の人物の阿頼耶識と連絡して話の内容によってはその人物と入れ替わるような感じなんだ。

石板を吊り上げたていた時、「ボルトの部分が危ないよ」と云うのだ。それで急いでアルミポールの先端のフック部分を見たら!

ナッ、曲がってるだろ。せいぜい200キロくらいの重量だから、10ミリボルトで充分だと思ったのだが、ポール先端に固定されてるから、ポールを上げ下げする度、前後に曲がったり伸びたりするのだ。これを何回も繰り返していると、金属疲労を起こしてどんな太い鉄材でも破断してしまう。実に危ないところだったよ。

さっそくもっと太いボルトで輪っかを作って、ポールに密着するよう作り直す事にした。ポールとの間も遊びの部分が無いように密着させ、輪っかもポールと並行させて固定した。こうすればワイヤーが前後に角度を変えても、繋いでいるUボルトが動いてボルトに無理がかからないからね。

それともうひとつ良いアドバイスありがとう。屋根の石板を外していて、「屋根葺きの時、これを一枚づつドリルで穴空けて釘ドメしていくのは大変過ぎるなあ、、、」などとオマエに話し掛けていたら、「ズレなければ良いのなら、別に穴あけなくても、石版の下側に釘打っておけば良いじゃない?」と、オンナ言葉が聴こえたのだ。

 

俺は思わず「オオ!」と叫んだ。確かに石に穴あける必要は無いのだ。軽いスレートなら上から抑える必要があるが、石板は重いから、いくら風が吹いてもそれで動く心配は無い!下にズレようとする力だけ止めれば良いのだ!それで一番最初の石板だけ下を釘止めして、そこから泥と石灰を混ぜたモノを挟んで石板を重ねていく事にした。

この声は女言葉だったので、もしかすると一静だったかもな。彼女は建築には素人なんだが、時に思いもしなかったアイディアを出す事がある。俺が建築の常識に縛られている時、一静は全く別な角度からそれを見るから斬新な思いつきが生まれるのだろうな。もちろん彼女に俺の解体作業が見えるわけじゃないが、どうも全然別な次元で集合的な意識がそういう思いつきを報せてきているように思う。今日は色々心の声が聴こえて楽しかったよ、、、

声が聴こえるといえば、作業終えてユンボのエンジンを止めると、必ず「ジージー、ジージー」と、俺を呼ぶ声が聴こえるので、レナリが呼ぶのかなあと思っていたら、エンジン冷却装置の残音だと解った!分裂症気味なのかなあ、、、!

雨のち晴れ

朝降っていた雨が止んで晴天になったので、石板降ろし再開。ところが石板に張り付いて咲いている花が、どうにも気になってなあ、、、邪険に毟り取る気になれなくて、石から外しておき、下に降ろして寄せ植えした。適当な平鉢でもあれば素敵な鉢植えになる処だが、何にも無いから朽ち板に載せた。

「この清らかな花を、1番早くブログを見たあなたに捧げます」なんて、、、心優しい老人を演出してみた、、、慣れ→狎れになりやすいな、、、俺も段々ブログ書くのに慣れてきて、構成が嫌らしくなってきた!さて一服したから石運び続けるわ。

雨に祟られ

「さて今日から石板降ろしだ!」と意気込んで作業に取り掛かった。石板に苔が生えていて足元が滑る。慎重に動いて石板を箱に入れる。屋根に残っている石板は割れていないから思ったより大きい。どうも俺では持ち上がらないヤツもありそうだ。

家より大きい正面の御神木に見守られながら慎重に作業を進める。

村人に聞いたところでは、石板一枚づつに穴を開けて釘打ちしてあると云ってたが、釘は打ってない。石板を重ねてあるだけだ。今度の改修では、屋根の角度をもう少し急にしたいが、そうすると石板がズレやすくなるし、屋内を暖房すると石板の下に断熱材が無いと結露するだろうから、屋根葺きの際は何か対策を立てないとな。

 

屋根の処々に高山で見かける可憐な苔の花が咲いている。取ってしまうのも可哀想な気がするので、後で鉢植えにしてみるつもり。ブーケみたいに密集して咲き誇っているが、何十年も人目にも触れずこうして咲いてきたんだろうなあ、、、

石板を箱に運び入れて、ユルユルと地表に降ろす。大きいヤツばかりで、箱が小さ過ぎた。パレットだとずれ落ちるかと思って箱を作ったが、パレットに変更だな。

順調に進みそうだと喜んだとたん途端雨、、、😂   しょうがない、特装ユンボはひとまず車庫で待機して貰って

俺は作業小屋で作りかけのロケットストーブ作りに作業変更。

作業小屋があるから有難い。屋根仕事は滑るからカッパ着てもやれないからなあ。ところでこのストーブは消化器なんだけど、作りかけなのに磨いてあるだろ。切断していると塗ってあるペンキがボウボウ燃えてくるので、あらかじめペンキを落としたのだ。

しかしよく燃える消化器って、、、、、どうなんだろなあ!

 

 

自家用クレーン完成

今日は一日延長アームの溶接作業。湾曲したバケットに直角のアームを脱着出来るように加工するのは、なかなか難しい。慣れない溶接ですぐ火傷するが、その度にキュウリを貼って治す。これは火傷直後にやると抜群に効くのだ。昨日も今日も計3回ヤケドしたが今はもう痛まない!皮手袋の親指の処が破れているのに気づかず、ウッカリ焼けた鉄材を掴んでしまったが、すぐキュウリの切れ端を皮手袋の親指の処に押し込んでそのまま火傷した手にはめて作業続行、、、すぐ痛みが薄らいでくる。

出来上がって、7メートル先のアーム先端でどれくらいのモノを吊れるか試してみる。

アルミのポールがグッと撓ったが、小さい石板10枚くらいは軽く持ち上げられることが分かった。軽いのでアルミポールを使った。強度的に保つかどうか案じたが、どうやら100キロ程度は大丈夫みたいだ。

所定位置にユンボを置いてみたが、この位置から屋根の半分以上はカバーできそうだ。

さあ、明日はこれを使って屋根の解体に取り掛かるぞ!

屋根の石板降ろし

屋内の石板は運び終わったので、屋根に残っている石板を降ろす作業に入る。平地でも重たい石板を、腐って崩れ残っている屋根から降ろそうというのだから、なかなか厄介な仕事だ。

俺の計画では、手前に見える小山の上にユンボを上げて、ユンボのバケットにパレットをぶら下げ、そこに石板を屋根板から剥がして、数枚載せては静かに降ろすという想定だった。

ところがユンボを小山の上に上げてみたら、アームが短くて数メートル先以上は届かない事が判った。独り作業だからバケットから命綱を装着しないと、多分2,3回は足元の屋根板が崩れ落ちるだろうし、石板を抱えて石壁の上を歩く自信もないので、何か別な方法を考えなくてはならない。

それで思いついたのが、アームの延長だ。吊るし上げる石板は、重いといっても数十キロだからユンボにとっては軽いもの。だから100キロ程度のモノなら4メートル程度アームを伸ばしても支えることは出来る。

それで、又、屑鉄屋に行って材料を漁ってきた。肉厚のアルミポールとポールの内径に外径がピッタリ合う肉厚鉄パイプが見つかった!それで細い方の鉄パイプを太い方のアルミパイプに叩き込んで、延長アームを作り出した。

 

外径と内径がピッタリで、大ハンマーで60センチくらい叩き込んだら、もうビクともせず完全に密着した。

それで今度はこの延長アームをバケットに装着できるよう加工する。簡単に脱着できるようにして置かないと、ユンボが他の作業をできなくなるからね。

仮置きしてみて、何処にどんな装置を付けたら良いか考える。

バケットの背側を延長してバケットに付いている通常使用しない2つの穴に鉄棒を差し込んで連結する事にした。

バケットの爪先は二本の爪とアームから直角に繋がっている角鉄を帯鉄でグルリと巻いて支える事にした。

直径30ミリの鉄芯と内径30ミリの肉厚パイプが必要だ。

かなり力がかかる部分だから、軟鉄ではダメで、車両の心棒みたいなモノじゃないとな、、、又、クズ鉄屋だな、、、ここで一旦作業はストップ。焼いておいてジャガ芋で朝兼昼食、、、ピラールお婆さんから沢山ジャガ芋をもらったので、重点的にこれを戴いている。

焚き火で焼いてオリーブ油と塩で食べるジャガイモ、、、美味いわあ!

ところでこんな技術的な事を羅列しても、ほとんどの人は興味持たないだろうと云う意見がある。しかし、俺は好奇心旺盛で山中で自給自足生活を希望するような少年向けに、一種の教科書になったらいいなと思って書いているんだが、「今時そんな少年いるかなあ、、、」とも言われたので、もしかするとこの日記は俺独りの楽しみかもしれないなあ、、、でも少なくともユウジだけは付き合ってくれるよなあ、、、それに俺は最近作業していて、何処かで子のような孫のような存在が俺の作業を眺めているような感じがあるのだ。

もしかすると「レナリの無意識」か、縁のある子供全員の無意識のようなものか、、、などと思ったりもするのだが、、、とにかくそういう感じで心の中でその幻のような存在と会話しながら作業している。

ブログに書くのも、ユウジのような孫のような、、、その会話の相手に伝えるつもりで書いているのだが、これを書く事によって、又、新たな思いつきが湧いて来て、これも楽しみなんだ。だから誰も興味を持たなくても俺は独創的な毎日を送れて、それをおまえや孫という心の中の心友に向かって書き綴るのが楽しい。

石板の呟き

ユウジ、俺は独りで石板を掘り出しているうちに、石板の呟きが聴こえるようになったよ。別にスピ系になったわけじゃないがな、、、石板だからユンボで触れるとすぐ割れてしまう。それに入り口が狭いのでユンボはアームを2メートルほど突っ込めるだけで、それ以上は入れない。従って石板は人力で掘り出すより他に方法が無いのだ。

それでコツコツ残骸を掘り起こしている内に、何となく残骸の中に埋もれている割れ残った石板が「旦那、私は此処に埋まっていますよ!」みたいな感じで、俺の足になにか伝えてくるようになったのだ。

それは何と云ったらよいか、、、残骸の山の上を膝で這い回っていると、粉々に割れた残骸ばかりの処と、ある程度の大きさで割れ残っている石板が埋まっている処では、膝に伝わる感覚が異なるのだ。それで埋まっていそうな処を掘ると、たいてい使える石板が嬉しそうな顔を出して来る!

ユウジ、俺はこの感覚が解ってからこの作業が面白くなってな、手を付けた時は「こんな重いモノを、独りで掘り出していたら、腰が保たないなあ、、、」と案じていたのだが、これを会得してからは楽しんでいる内に運び終わってしまったよ。

これは古材の始末の時も感じた事だが、やはり物質は意識の具現化したモノなんだな。8メートルも落下して半分以上の石板は粉々に割れてしまったわけだが、割れずに残った石板も半分近く残ってる。俺はこの状況が意味するものを考えるのだ。

割れてしまう石と衝撃に耐える石とは何処が異なるのだろう、、、もちろん現代科学的に考察すれば、個々の石の強度と個々の石が受けた衝撃の違いが、崩れてしまう石と形を残す石とに分かれた原因という事になるわけだが、、、そこをもう少し掘り下げてみると、個々の石の強度(もっと正確に云うなら、分子の生成過程という事になるかな)や折れた梁の腐り方など、、、それは個々の物質の意識が創り上げたものとも云えるだろ。

そうすると、割れ残った石は、人間言葉で云えば、「もうしばらくこの形でいて、役に立ってやろう」という意志を持っていたとも云えるじゃないか。もちろん石が明確な人間言葉で俺にそれを伝えてきたわけじゃないが、残骸の中から顔を出した石は明らかにそう云ってる。

写真をよく見てみろユウジ。

ナッ!泥を落として積み上げてやったら、明らかにやる気出してるだろ。

それに比べ粉々に割れた石たちの表情はどうd

「もう我々はくたびれました。土に還って休みます。アンタもいい歳なんだからいい加減休んだら?」と呟いてるの、、、写真からでも伝わってくるだろ。

 

これは俺だけに起きている事じゃなくて、全ての人と物質の間で起きている事だと思うのだ。ただそれに気づいていないだけじゃないかな。この事を若いうちから気づくと、随分面白い人生になると思うがなあ。

職人が1日の仕事を終えて、その日作り上げた柱や壁や塀なんかを帰りがけにポンと叩いたりするじゃないか。あれも無意識の内に、そのモノの中の意識に語りかけている仕草なんだと思うよ。

ユウジ、おまえも仕事の相棒のパソコンを知らず識らずの内に、撫でたりさすったりする事があるだろ。今度優しく撫でてごらん。きっと良い事があるよ。

屋内の石板運び出し

屋内(屋根が無いのだから屋内と云えるかな?)に屋根から落ちた石板が堆積しているので、それを運び出す。まず切り倒しておいたイバラの蔓を集め、腐って埋もれている屋根板も一緒に燃やす。

こちらのイバラの棘は凄く強靭で、革手袋や靴の上からでも刺さってきて本当に厄介だ。「棘のある植物が自然回復を助けているから感謝せよ」と天の声が聴こえるが、毎日毎日イバラに刺されていると感謝感謝とはいかなくてなあ。深く刺さったりすると思わず「クソ!」と叫んでしまう。

イバラを始末して、今度は堆積している石板を残骸の中から掘り出す作業だ。

落ちて割れてしまったクズ石や泥を除いて、使えそうな石板を引き摺り出し、パレットの上に積み上げ、それをユンボで置き場まで運ぶ。

ところでユウジ、言葉も通じないスペインの山奥に来て、頼まれもしないのに独りでこんな重労してる爺さんを不思議に思うかもなあ〜「何故そんなことやってるの?」と、問われれば、「面白いから」と、答えるしかないな。

数年前から腕力が極端に低下してきて、重たいモノを持ち上げられなくなり、25キロのセメント袋が精一杯になっていた。それが此処に来たら、とにかく重たいモノばかりで、この石板なんかは、大きなモノは80キロを越すモノもある。それで色々工夫して動かしている内に、段々コツが分かってきてな。最初は腰が痛くて朝は起き上がるのに苦労したが、それも腰を庇いながら作業するうちに、地面に膝を付けて肘を膝に乗せ、腕をテコのようにして力を入れるコツが身に付いてな、自分でも感心するくらい、独りで何でも出来るようになった。

「独りで重たいモノ動かして、、、それが何なの?」と云われるかもしれないが、今の俺にはそれこそが最大に意味ある事なのだ。

70歳を過ぎても体力は取り戻せるものだと体感しているよ。

南側台地完成。

 

 

下側から土を3回送りで掻き上げて、なんとか3メートル幅の台地を完成!石壁に積み上げてある泥石は、耐火煉瓦の代用で、焚き口用を作る為の材料だ。

台地の高さは、計画した床の高さから1,5下がり。ここから壁に穴を開けて焚き口を作っていくわけだが、この作業はこれで一旦ストップして、今度は屋内の始末をする。屋内は屋根が腐って屋根石が落ちて散乱しているから、まずそれを取り除かねばならない。

ところで一昨日書いた教育論の続きだが、俺の経験では、少年の内に自力で家を一軒建てさせるのが最も人間力をつける教育になると思うのだ。

家と云っても近代建築の家ではなく、その地にあるもので工夫しながら建てていくわけだが、工夫すれば六畳間くらいの家なら、材料費は工夫次第で50万円以内で建てられる。留学だとか云って、無駄な費用をかけてマリファナなんか覚えてくるより、随分良いと思うよ。夏休みと冬休みで大体完成できるからね。俺はS君に1年間教えてみて、あの年頃の少年が、好奇心を持ってやりだすと、本当に人間的にも技術的にも成長するのが早いので、つくづく学校教育の無意味さを思い知った。

土地は俺が無償提供して、建てた家は自分のものになるのだから、やり甲斐も出てくるだろう。もちろん誰かが教えてやらなければできないが、ヤル気のある少年なら俺も育ててみたいと思うのだ。まあ、今の高校大学に行くよりずっとマシだと思うがなあ〜。

いよいよ廃屋改修に着手

なんとか食事と寝る場所(と云っても車中泊だが!)はできたので、いよいよ廃屋に手をつける。

それで順番としては、一番下の基礎部分をやっておかないといけない。この家にはオンドル床暖房を施すつもり。オンドルは焚き口から煙道が床下をグルグル回って暖める構造だから、焚き口から徐々に高さを上げていって、煙道が外に出るところでは1,2メートルの落差を付けるのだ。したがって焚き口は床面から1,5メートル下がったところに作ることになる。

この建物は元々急斜面にそのまま石壁を積んで作ってあるので、その落差を利用して南側に焚き口を作ることにした。南側はそのまま建物から斜面になっているが、そのままでは焚き口で作業ができないので、3メートル幅の台地を作ることにした。

 

 

ところが急斜面でユンボを動かしていたら、iPadを落としてしまい何処に埋もれたか分からなくなってしまった。この写真を撮った後、作業後の写真も撮ろうと思って、iPadを座席の横に挟んで置いたのだが、機体を傾けて作業している間に滑り落ちてしまったのだ。ユンボでガンガン転圧してしまったからもう掘り返しても潰れているだろうし、、、「ああ、もうブログを書くなという事かなあ、、、昨日は疲れてしまって、御神木のお供えをゆうに任せてしまったので、御神木が怒ったのかなあ、、、それにしてもゆうが帰国したら、iPadが無くては困るかなあ、、、なんとか御神木さん頼みますわ。」と、内心祈る気持ちで作業を続けていたら、ナント、ユンボの鉄爪の間に泥だらけになったiPadが出て来たのだ!それで急いで動かしてみたら、ナント、ちゃんと動いたのだ!3トンもの重圧を受けながらなんとも無かったなんて奇跡だよ!

その後もユンボのキャタピラが外れたりして苦労したが、なんとか直して台地の基礎だけは作り終えた。

毎日霧に覆われて、外にいるユンボはビッショリだから、可哀想に思ってユンボの車庫も作ってやったのに、どうも機嫌が悪い!

明日は台地を完成させて、焚き口の基礎作りだ

AIと教育

新井 紀子さんという科学者(教育国立情報学研究所情報社会相関研究系教授)が、東ロボ(東大受験を目指す人工知能)の研究をしてきて、「AIは恐れず備えよ」と主張されている。

今後10年くらいの間に、現在の職業の半分以上はAIに取って代わられるだろうと云われているが、AIには出来る事と出来ない事があって、学校は人間にしか出来ない分野の能力を開発すべきなのに、現代教育はAIの得意な分野ばかり勉強させていて、これは間違っているという主張だ。

非常に興味深いテスト結果があるのでここに貼り付けておく。教育の重大な欠陥を示すものだから注意して見て欲しい。

この問題はAIが苦手とする問題の典型だ。この2問の特徴はほとんど同じ字句や単語を並び替えることで意味を異なるものにしてある事だ。異なる点は云うまでもなく「大名が幕府から沿岸警備を命ぜられた」と「幕府が大名から沿岸警備を命ぜられた」であるが、AIは知識(知識というよりも記憶と云った方が良いかな?)を数字に変えてそれを出し入れする機会だから、文章を書いた人の意図を読み取れないのだ!

AIがこのような設問に対応できるようにする為には、これに類した設問を何千何億と記憶させて、確率的に正解を出させるというような事をやるらしいが、AIの方はそれもヨシとするが、問題はこの設問に答えた中高生の成績だよ!

写真下部の正解率を見て欲しい。高3から中1まで年代が若くなるほど正解率が下がっているだろ!しかし設問自体は問題をよく読めば小6でも簡単に正解できるテストだよ。どうして半数近くの子達が2問の違いを読み取れなかったのだろう。それは彼らが字ズラだけを読み走って、自分の記憶と照らし合わせる作業に集中したからだよ!つまりAIと同じ作業をしたのだ。「1639年」「幕府」「ポルトガル人追放」「鎖国」「大名」「沿岸警備」というような記憶をたどって、2問が同じ内容だと早合点したのだ。肝心の文章全体を読み取る事が出来なかったのだ。これが何を意味しているかわかるかユウジ。これは子供達が年々AI化されているという証明だよ!

つまり現代教育の「知識の記憶」という勉強方法が、子供たちに与えている悪影響の証だな。現代教育は受験が対象なので「適正化」または「効率化」という方向で走ってきた。その結果、設問を丸暗記し、機械的に正解を出す訓練に洗脳され、設問者の意図を想像する力が極端に衰えてしまっているのだ。

知識の集積と記憶力はAIが最も得意とするところで、そこをAIと競争するなんて馬鹿げた話じゃないか!

俺たちに縁のある子供たちは絶対こんな教育を受けさせてはならないなあ。

じゃあどんな教育が良いかは又今度話すよ。