ストーブ作り

ユウジ、ナロガは今日も冷たい雨。

作業場の扉を付けなければならないが、雨では難しいので、それはやめて先日見つけたクズ鉄屋に行ってきた。ドラム缶が欲しかったからだ。首尾よくドラム缶が手に入ったので、ついでに使えそうなモノも見繕って帰ってきた。

この鉄の半球は、予てから俺が作ってみたいと思っていた囲炉裏型の暖炉の浮き煙突(フード)を作るには格好の材料だ!他にガスボンベと消火器二本と鉄ハンマーの頭、ドラム缶二本、厚鉄板で65€(8000円くらい)良い買い物だった。

昼過ぎに戻れたので、持ち帰った屑鉄でストーブを作り始めた。急拵えの炊事場のカマドは、湯は沸くものの暖房がイマイチで、チットモ暖まらないのだ。それでガスボンベで暖房専用の小型ストーブをと思ってな。

作りながら、俺が布団に横たわると、いつもレナリが頭や背中に跨ってきたのを思い出し、ここに居たらきっとこのボンベに跨りたがるだろうなあ、、、とボンヤリ想像しながら、、、それで脚を付け終わってから気づいたのだ。

煙突を焚き口の方に付けてしまった!しかし絶望することは無い。いかに闇が深くとも夜明けは必ずやってくる、、、ということで今日はこれまで。

恐怖の晩餐

今日の5時頃、ピラール婆さんがやって来て何が何でも「家に来い」という。俺たちがスペイン語を解さないと判っているはずなのに、こっちが判ろうが判るまいが一向構わず、物凄い勢いで喋る続けるのだ、この婆さんは!しかし好意イッパイである事は明白なので、あの物凄く臭い家に引き摺られるようにして連れて行かれた!

いつもの台所の部屋に入ると、長椅子に寝そべっていたセベル爺さんもムックリ起き上がってきた。そしてピラール婆さんがドデカイ長パンと肉の塊をドンとテーブルの上に置いて「さあ食べろ、さあ食べろ」と勧めるのだ。素早く大きな砂糖タップリのロールケーキやワインも出してきた。

もうどうにも逃げられない、、、

ユウジ、よく写真を見てくれ。右に突き出てるのは骨で、肉の下の方は脂身で、その下は皮で、その下には硬い毛が残ってるんだぞ!

もうとにかくお構いなしに、切っては出し、切っては出し、して来る肉とパンとチーズとジャムとチョー甘いケーキとウルフという名の強い酒を入れたコーヒーと(あの臭い部屋であの食い物の数々をユウジに喰わせて見たいわ、、、きっと吐くぞ!)、、、、俺は作り笑いしながら目を瞑って食べて、、、ゲップして、、、散々一方的なお喋りを聴いて、、、、、ようやく帰ろうとしたら、台所の奥の部屋を見ていけという。

驚いたことに、そこはブタ小屋(隣は鶏小屋,その向かいは牛小屋)なんだ。臭いはずだ。彼らは豚と同居してるんだ!豚だけじゃない、牛と鶏と猫と犬がみんな同居してるんだ!

それで婆さんがその豚の肩の辺をしきりに叩いて叫ぶのだ。どうもさっき食べた肉の塊は、ここで飼っていた豚の肩の肉だで、1番美味いところだと言ってるらしい、、、、、☠

昨日の法事の時、俺たちは何かのパーティーだと勘違いして、海苔巻きを持って行ったので、どうもそのお返しに彼らのご馳走を食べさせたかったらしい。1年に1回の催事で、豚を一頭葬ったようだ、、、🙀

ところで写真の俺は丸坊主でヒゲも無くなってるだろ、、、間抜けな話で、今朝バリカンで頭とヒゲを刈ったら、途中で気がついたらアダプターが外れていて1ミリカットになってしまったのだ。

だから豚肉の前でブタみたいなマヌケ顔を晒してるのだ、、、可哀想だと思わないかユウジ、、、、疲れた、、、もう寝るわ。

ペレイラ村

ペレイラ村には我々の廃屋以外に家が4軒経っているが、人が住んでいるのはその内の二軒で、我が廃屋は、その内の一軒であるピラールお婆さん夫婦の家の門をくぐって70メートルくらい奥にある。もう一軒の人家にはピラールお婆さんの親戚のお爺さんが住んでいて、つまりペレイラ村の住民は俺たち以外には3人ということになる。

昨日はこの2軒しか無い小さな村で、パーティーを開くから参加するようピラール婆さんが言ってきたので、開催時間の午後1:30に会場に行った。そこは6畳間くらいの小さな石壁の小屋で、中に入って初めて教会だと判った。10数人の老若男女があつまっていて、神父らしき人が祭祀を始めた。どうも村人以外に集まって来た人々は、この村の出身者らしい。

神父は厚さ10センチ以上はありそうな分厚い聖書に数カ所挟んである紙縒のページを読み上げ、村人達はある部分に来ると一斉唱和する。俺が子供の頃は月に一回浄土真宗の寺で報恩講という法事が行われていて、村人はその日の夜になると老若男女が集まって正信偈というお経を独特の節回しで唱和したものだが、この場の雰囲気で俺はそれを思い出した。

地球の裏側の、全く宗教も文化も異なる農村で、日本の農村と酷似した宗教儀式が行なわれている現場に直面し、つくづく考えさせられたよ。

ユウジ、この数千年、宗教が人々に何を齎したかが、この場面に如実に現れているとは思わないか、、、「またあの坊主はトンデモナイことを口走る!」と云うかも知れないが、、、それはドグマ(教義)による思考停止だよ。俺がこういう事を云うと、人は俺の墓無用論と同じく「村人達の素朴な信仰を冒涜するのか!」と非難するだろうが、そもそも「信仰」とは何だろう。字ズラ通りに解釈するなら文字通り「超越的な存在(神とか仏とか呼ばれる存在)を信じて仰ぎ見る」という事になるが、それって単なる思考停止じゃないか?

ユウジ、俺は人間存在とは自己追求そのものだと定義しているのだ。言葉を代えるなら「人間とは、自分とは何かという問いをどこまでも追求する存在であり、生まれながらの求道者」だと思っていて、その確信は日々強くなりつつあるのだ。

「求道者」などという言葉を使うと、益々人は俺の論を受け入れ難くなるだろうから、「好奇心」という言葉に置き換えて説明する。

ユウジ、生命力の源は何だと思う?それは好奇心だよ!人の死に際をよく観察してみれば誰でも気づくはずだが、人は好奇心が無くなると死ぬのだ。一般的には、死が近づくと好奇心が薄れると思われているが、それは逆で好奇心が薄れると死が近づくのだよ。嘘だと思うなら好奇心が薄れつつある近辺の老人や病人、そして生命力旺盛な幼児の様子をよく観察してごらん。好奇心こそが生命力の源だと解るだろう。

ところで「好奇心」とは何だろう。それはユウジ「知りたい心」だよ!人はとにかく知りたいのだ!テレビを見るのも、新聞を読むのも、ネットを開くのも、旅行をするのも、、、人の行動の全ては「知りたい心が動かしているのだ。極論するならボランティア行動も窃盗行動も「知りたい心」が動機なんだ!

なぜ人はあらゆるものをこれほど知ろうとするのだろう、、、それはユウジ、人は好奇心の対象物を知る事で、実は自分を知ろうとしているのだよ、、、気づいたかなユウジ、人間の好奇心とは「自分を知りたい」という潜在的な欲求の現れなんだよ。

ユウジ、俺が「人は全て求道者だ」と断言するのは、「求道」という言葉を「自分も含めた人類という存在の意味を追求する道」と定義するからだ。世間一般では「求道」という言葉を、一部の超真面目な修行者が所謂「悟り」を求めて過酷な生き方をする事というふうに解釈しているが、俺はそれも宗教的ドグマが人々に植えつけた一種の思い込みだと思う。

考えてみろよ。科学文明が発達したと自画自賛する人間社会の現実は、自らの生存環境を破壊しつつ増殖する人類の狂気そのものじゃないか。その現実の中にいて存在の意味について考えないなんてそれこそが狂気だと思わないか?

まあ、それを全く感じない連中は論外として、少なくとも多少物事を考える人なら、「一体自分は何の為に生きてるのだろう?」という疑問は持っているはずだ、ただほとんどの人はその疑問こそが自分を生かしている源泉だとは気づかない。自分の好奇心が本当は何を探し求めているのか解らないから、ただ闇雲に好奇心を振り回しているのが人間社会の実状だよ。

肉体的あるいは精神的苦境に陥ると一部の人は初めて人間存在というものの意味を知ろうとし始める。それで宗教に縋るのだが、そうすると教祖が得たという悟り(これは体感と云っても良いもので文字や言葉では表せない。例えばリンゴの味を言葉や文字にできないようにな!)というものをドグマとして押し付けてくる。究竟それは教祖を信仰しなさい。教祖の言葉を信じて従いなさい。自分の考えは捨てて教祖に全託しなさい。という事になって信者を思考停止させてしまうのだ。

それはある意味楽な道だ。もうクヨクヨ考えなくて良くなるからな!全て起きてくる事は自分の魂にとって成長の糧、、、いつも神様(仏様)がついているから安心して任せなさい、、、

単純素朴な人が陥りやすい罠だよ宗教は、、、だけどなユウジ、その安心は長くは続かない。何故ならそれでは本当の自分は見えてこないからだ。人としての普遍的で根源的な疑問が解けてこないからだ。いくら気高い教祖が「私はそれを知ったからおまえ達も安心しなさい。」と言ったからといって(本物ならそんな事云う筈も無いが!)中身も解らず本当に安心できるはずがないだろ。

世の宗教組織の連中は、食べた事も無いリンゴの味をあたかも食べたかのように酸っぱい甘いと騒ぎ合っているんだよ、ハハハ!

ところで俺が泥棒も求道者だと云ったのは、泥棒する動機も好奇心の為せる技だという意味だ。暴論と思うかも知れないが、ドロボウの心理を分析してごらん。彼は泥棒が成功して金を握るという経験をした自分を知りたいのだ。その意味ではボランティアが人を助けに行くのも、人を助けるという経験をした自分を知りたいのだ。もちろんそう自己分析してボランティアしたり泥棒したりする者はいないだろうが、その行動に到る心理を分析してみれば、そう解釈せざるを得ないことはユウジも否定できないだろ。

これは俺自身の経験もあって断言するのだ。出発する前に少し話したが、俺は二十歳から40歳までの20年間、表では土建業、裏では闇社会で所謂二足の草鞋を履いて生きて来た無頼漢だ。それで結局41歳の時自ら抗争事件を起こして合計10年間を懲役で暮らしたのだ。

俺が抗争相手の組長を銃撃した本当の理由は、「人を殺した自分を知りたかった」からだ。これは長い懲役生活の中で何度も何度も自己分析して確信した事実だ。酷い話で、好奇心で人を殺害しようとするなんて言語道断という事になろうが、キチガイと云われようと人非人と云われようとこれが俺なのだからしょうがない。そう自分で自己分析してから、毎日自分がとる行動を常に自己分析してみると、それも全てが好奇心の発露であり、そうする事によって自分探しをしている事が判ってきたのだ。

牢獄の中では極端に自由は制限されているから、好奇心のままに動く事は出来ないが、それだけに自己分析する時間はタップリあるのだ。俺は自分も他人も無意識の内に自分探しの旅をしている事に気づき、好奇心を外に向けている間はそれが見えて来ない事にも気づいた。いくら探しても自分が見えて来ないと、無意識下の自分(これは本来の自分と云っても良いだろう)は、表面の自分の好奇心を内側に向けさせようと、わざと苦難を呼び込むのだ。それは病気であったり、人間関係の破綻であったり、経済的苦境であったりするのだ。これは長い獄中生活で唯一俺の楽しみだった、新入り尋問で得た結論だ。

刑務所には毎日新規入所者が入ってきて、俺の持ち場に新入りが入ってくると、彼が起こした事件やそこに到った経緯、子供の頃からの生活など、あらゆる事を聞き出し、人間観察を楽しんだよ。それで判ってきた事は、欲望の本質げ好奇心だという事。しかし、好奇心が何かを考察する人間はほとんどいない事も判った。ただ本人は気づいていないが、傍目から見ると、背後にその人の本質というか何かそういう意志みたいなものがあって、表面の自分が背後の意志に操られるようにして牢獄に自分を運び入れている事が見えたきたのだ。これは懲役の人々だけじゃなく、世の人々全部に当てはまる現象だという事も見えてきた。

ユウジ、俺が今話した事を念頭に置いて、自分のこれまでの人生や周囲の人間を観察してごらん。人生を操っているのがもう1人の自分だと気づけるかも知れないぞ。

ああ、今日はペレイラ村の祭事から妙なところに話が飛んでしまったな!

ナロガはまた数日霧と雨でな、

作業を休んでるから思いがけず打ち明け話をしてしまった。トンデモナイ坊主で済まんなあ!

 

あるもので創る蔬路雅 Naroga

炊事場に台所用品や食料の置き所が無いので棚を作らねばならない。しかし材料が無いので廃屋の2階に残っている残材で何とかならないか、、、辛うじて三分の一くらいの梁が腐りながらも落ちずに残っていて、そこから慎重に使えそうな板を剥がして引きずり出す。

写真右手の壁に穴があるが、そこが昨日の煙突が壁の中を通って繋がっていた場所だ。どうもそこが炊事場兼暖炉だったようだ。この建物の一階は牛舎だったらしく牛糞が厚く積もっている。2階の暖炉のあった場所と思える残骸の中から、子供の革靴が出てきた。この建物は人が住まなくなってから70年経つというから、少なくとも70年以上前に子供がいたんだろうな。おそらくこの靴を履いていた子供も、今はこの世の人ではないだろうが、彼がこの家を出て人生を終えて、その彼が出た家を70年後に日本から俺がやって来て改修し始めた、、、どんな因果だろうなあ、、、もしかしたら一静の助産寺の赤ちゃんの中に産まれてきて、ここの来るようになるかもなあ、、、

しかし、70年も無人だったから、梁も床板もほとんど腐っていて、残ってる部分に大きな板石が載っている状態だから危なくてしょうがない。これをどうやって解体していくか、、、知恵をしぼらなければな!

ユウジ、俺は一昨日の明け方、夢で「此処にあるモノで建てろ」と天から云われた。あるモノで建てろと云われてもあるのはグネグネ曲がった雑木と腐れ石だけ!

 

しかしそれも段々面白くなってきたよ!天はどんなところにも人を生きさせる何かを用意しているはず。俺はそれを此処にあるモノでナロガを創って証(あかし)してみるよ!なんと云ってもナロガは真の自分と出会う聖なる場所だからなあ!水と空気は澄み切ってるから!

炊事場

炊事場の壁が無くてずっと寒かった。それに身体を拭く場所も無かったので、今日は炊事場にカマドを作って、身体を洗えるくらいのお湯を沸かせるようにした。最初は煙突無しの囲炉裏みたいなモノでいいかと取り掛かったが、壁を塞ぐとやはり煙で燻されると思い、煙突を付ける事にした。

廃屋の屋根に昔の煙突が折れて残っていたので、それを外してきて取り付けた。泥岩のカケラを積み上げて、何とかカマドらしきモノを完成。

乾くまで待てなくて試しにお湯を沸かして見たが、思った通り泥岩は脆くて石垣には不向きだが火には耐えるようだ。昨日と今日は珍しく上天気で作業もグングン進む。

大きなブリキの寸胴でお湯もタップリ沸かせたので、久し振りに行水してサッパリ!もう午後10時だがまだ明るい。じゃあグッスリ眠らせてもらうわ。

万力台

鉄を曲げたり切ったりするには万力が必要。万力はスコットランド時代から使ってきた物があるが、万力は台がしっかりしていないと使い物にならない。鉄棒などを挟んで曲げようとすると、グラついてしまうからね。それで石壁に組み込んで固定することにした。ところがこの石壁は土を挟んで積み上げてあるだけなので、力を入れると壁自体が動いてしまう。

それで開口部にモルタルで石を積み上げ、その間に万力台を組み込むことにした。写真を見ると元の壁と随分ズレて積んでいると思うだろ。そもそも壁が垂直じゃないんだ!それに開口部の左と右では壁の厚さも違うのだ!一体どうやって積んだのか?ホントに不思議な国だわ!

材料が無いので廃屋から引き摺りだした古材を使っているが、ボロボロに腐っているように見えても中は案外しっかりしている。チョットハンドグラインダーで磨いてやると

 

上の写真は磨く前のボロボに見える古材。下の写真は磨いた後の同じ板だ。

磨くのは電動工具でやるから簡単なんだが、太い釘が沢山食い込んでいて、それを抜くのが大変だ。でも古釘を抜く時、板が喜ぶのが判る。それと磨いてやると板も「もうひと働きしますか!」という感じでヤル気を出してくるのも判る。ユウジ、全ての物質は意識体だよ。

ところで作業台だが、よく見てごらん。雨続きでとても磨いてなんかいられないからそのまま使った。木のヤツ全然ヤル気だしてないだろ!ハハハ。

15センチ×30センチの太い台木が石壁にしっかり固定された。万力と刃物研ぎグラインダーを取り付けて、これでヨシ!

 

台所と作業場つくり

哀しんでばかりいても心と身体が冷えるだけ。

気分を切り替えて、炊事場と作業場を急ピッチで作り始めた。とにかく材料が無くて、敷地内から切ってきたグネグネ曲がりの雑木を使うので、高さを合わせる為、垂木との接点を切り込んだり木片を入れたりして調整しなければならず、手間取る事夥しい。でも4日かかってなんとか炊事場と作業場に屋根をかける事ができた!

 

 

まだ隙間を草や石で塞いだり、ドアを付けたりしなければならないが、一応雨露に当たらず炊事ができるようになった。

「その土地の助けを乞う為に、ご飯を炊いたら1番にその土地の生き物達に捧げる」、、、人に教えながら、俺は自分がそれを失念していた。それに気づいて毎日俺がお供えすることにした。なんと云っても水と空気が綺麗な場所だからなあ~それだけでも感謝しないとなあ!

ところでユウジ、おまえが薦めてくれたこのブログ書き、なかなか良いよ。君が俺の願い通り、コメントをひと言も書かないでいてくれるから、俺は心のままにその時その時の感情をそのまま吐き出す事ができる。段々俺の中に俺だけの「ユウジ」という存在が出来てきて、そいつは沈黙したまま何時も俺の話に耳を傾けてくれるいい奴なんだ。いつの間にか「ユウジ」はいつも俺と一緒に居て、先日もチェーンソーを回したまま崖から滑り落ちそうになった時、「ユウジ」が、「これまで何度チェーンソーで怪我したんですか!いい加減に使い方覚えて下さいよ!」と、耳元で文句を云うので、「そうやなあ!俺は何を慌てているんや?誰に急かされているわけでもないのになあ〜怪我する時はいつも焦っている、、、そのような時、天は俺に痛い目に遭わせて教えるのになあ〜時間も空間も幻想だと教えられてきたのにいつも現実に引き摺り回される未熟者だなあ俺は!」と口にだしてお前と話した。ユウジ、一体お前は誰なんだ?ひょっとしたらお前は本当の俺なのか?

💕れなり💕

ユウジ、ナロガは今日も霧と雨、此処に来てからほとんど霧と雨、霧と雨、霧と雨、、、まるでボードレールの「悪の華」みたいだ、、、寒くて湿気ていてテントの中じゃ眠れない、、、いま午後9時、車の中で暖をとってる。写真は車の中から撮った。

もう此処に来て1ヶ月になるが、ほとんど車中泊、風呂も無いし、まあホームレス状態だな!

でもなあ、生活の不便は覚悟の上で来てるからなんとか凌げるが、3日前レナリを札幌に送ったと連絡が来てな、、、参ったよ、、、本当に参った。

俺が日本を立つ前の日まで、俺が抱いて寝ていたのだ。夢を見ると泣き出して夜中に何度も抱き上げてあやしてきた赤ん坊だ。生後1年10ヶ月の今、産みの母の元に引き取られて行ったのだ。

俺に相談すれば反対すると解っているから、育ての母と産みの母が相談して連れて行ったのだ

ユウジ、俺は日本を立つ時、レナリが車窓から消えた途端、胸が苦しくなって、自分がどれだけあの子を愛していたか思い知った。多分俺の愛が執着になる事を懸念して、天は俺とレナリを引き離したのだろう。

レナリは突然育ての母から引き離されて寒い北海道の見知らぬ家に移されたのだ。俺と一静はあの子を育てた1年8ヶ月の間、5分以上泣かせた事がないのだ。飲み水は北海道美深の貊水という名水以外は飲ませた事が無いのだ。この水は天に導かれて俺が掘り当てたのだ。元精飯と無農薬の野菜果物だけを食べさせてきたのだ。変なモノを口に入れないか四六時中見張って来たのだ。掌中の珠として大事に大事に育ててきたのだ。少し離れるといつも「ジージ、ジージ」と俺を呼んだのだ。

「どうしているのか?泣いていないか?24時間付いていなければならないのに誰が面倒を見ているのか?バカみたいな託児所に預けはしないか?」ずっとそれが頭から離れなくてなあ、、、考えを止めようと思ってただ朝から晩まで雨の中で身体を動かして、夜になると倒れ込んで眠る。

ユウジ、いい歳をして泣きごとを云ったが、、、泣いていてもしょうがない。ユウジ、俺はレナリやこの子達の為にナロガを創るぞ。無為の境涯には程遠い俺には、まだ可愛い子供達の為にという目標が必要なのだ。

仏像がナンダ!木魚がナンダ!あんな虚仮威し、、、俺の御本尊はユウジが撮ってくれたこの写真だ!

 

 

坊主の墓無用論

坊主の俺が「墓は宗教が産んだ最大の詐欺だ!」と云ったら、宗教界から総スカンを喰らうだろうな、、、でも本当だからしょうがない。

ユウジ、君は死んだらあの冷たい石の下に籠りたいかね?モチロン「嫌だ」と云うだろうな。

じゃあ君の家族や大切な友人達が死後あの冷たい石の下に籠って欲しいと願うかね?モチロン「嫌だ」と云うだろうな。

じゃあ、君の敬愛する御先祖様の霊が、もしあの冷たい石の下に籠っているとしたら、、、これはまことに悲惨な話じゃないか、、、、、?

ユウジ、奇妙に思わないか?誰もが自分は入りたくないと思っている「お墓」というものに、世間の人々は死んだ者は誰でもそこに籠っているものとして扱うこの風習は何だと思う?

ユウジ、墓の起源を考察してみればその答えは明白だ。考察と云っても考古学的に難しく考える必要はない。俺が云ってるのは古代に墓を作り始めた連中の動機を考察しろという意味だ。彼らは権力者が死んでその座を継承した者達だ。彼らは亡くなった先代の威光を利用せんが為に立派な墓が必要だったのだ。先祖が立派だったと宣伝すればするほど継承者である自分も立派だと宣伝することになるからね。現代だって先代社長に立派な墓を建てて、社員を引き連れて墓参りする企業家も多いじゃないか。競争社会を乗り切った功績を尊敬するのは勝手だが、それほど苦労して一生を捧げて、その結果が「あの冷たい石の下」だとは、、、たとえ仮定としても悲惨な仮定だと思わないか?

少なくとも「自分という存在の意味を求める者」なら、墓など欲しがるはずもないし、わけのわからん周囲の者が勝手に建てたとしても、そんなもの一顧だにせず行くべき次元に行くだけだ。墓も葬式も残った連中と坊主の欺瞞だよ。

俺は数年前に越前海岸の山上にある僻村を訪ねた。その時に村の入り口に傾いた数基の古墓が立っていて、それを眼にした瞬間「こんな馬鹿げたモノはすぐ取っ払え!」という天の声を耳にしたのだ。それで俺はそれまで俺を縛っていた「世間常識」「観念」というガラスの壁が割れて自由になったのだ。

先祖供養が云々と世迷いごとを云う奴にはこう云いたい。「真の供養(祈り)は独りでするものだ。」と!イエスは「人前で祈るな」と云ったらしいがそれは本当だろう。奇妙な作法やしゃちこばった経文など唱えて何が供養になると云うのだ!真の祈りが何かは坊主ならずとも人間なら自分の心を覗いて見ればすぐ解るはずだ。

仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。

これは梁塵抄という平安末期の歌集にある今様だが。俺なりに「仏」とは「本然の自分」と解釈していて、俺の好きな歌のひとつなんだ。詠み人が仏を求める切なる想いを感じるじゃないか。それは人気の無い暁にこそ仄見えるのだ。大勢の人前で、高価な絹の衣装で実践しようともしない経文を詠んで何が供養になるというのだ!

とは云え、迷っている連中が多勢いる事は事実だ。ユウジ、幽霊はいるよ。嘘だと思うなら夜中に独りで墓場を歩いてみれば解る。滑稽なことに死んだら墓に入るものだと思い込んだ連中は、本当に墓の下に籠るのだ。ユウジ、宗教の罪は大きいよ。坊主も神父も偽善者でペテン師だよ。少なくとも道を求める者なら葬式や法事など(それも金取って)恥ずかしくてできるはずがない。

ああ、ユウジ相手に毒気を吐いたらスッキリしたわ!もし俺の毒気に当たって気分悪くなったら、レナリ塩でキンタマでもマッサージしてくれ!

独り仕事

スペインに来て3週間が過ぎた。

工事はずっと独り仕事だが、まあ手間はかかるが色々工夫して思い付くままにやるのは面白くもある。もちろんゆうも助けてくれているが、電気も水道も無いところから始めているので、炊事洗濯だけでも大変だ。生活維持で精一杯だし、合間を見て(株)貊村のパソコン作業もあるからね。(下の写真、作りかけの作業場の向こうに見えるのが台所だからなあ!炊事係も大変だ)

工事の方は崖に登っての力仕事だから女性では無理だし危険だ。スコップやハンマーにしても、重くて日本女性が使えるような物はない。作業に慣れない彼女に気を配っていると俺も集中出来ないので、この作業は独り仕事にしようと決めたのだ。

ずっと雨と霧の日が続いたが今日は午後になって晴れてきて、なんとか作業小屋に仮設シートを掛ける事が出来た。スコットランドランド以来俺の手足になってくれた機械工具類も此処に運ばれてからずっと雨ざらしだったが、ようやく雨露をしのぐ場所が出来たわけだ。もっと大切に扱うべきだったが状況が許さなかった。可哀想な事をしたよ。

錆びついた工具たちが陽光を浴びて喜んだので俺も嬉しくなった。

良い天気で喜んでいたが、シートを張り終わった夕暮れ(と云ってもコッチの日没は午後9時だが!)になったらまた冷気と霧が襲ってきて、慌ててテントに駆け込む。

スペイン南部は乾燥していてスコットランドで悩まされた水虫はここ数年大人しくなっていたのだが、此処に来てから再発。まあ標高650メートルの山地で、こうも雨と霧では水虫も元気出すわなあ〜それでレナリと貊塩を混ぜたものを患部に塗ったらこれが効きめ抜群。足の小指の間が荒れてシクシク痛む状態が3日で治ったよ。それでゆうにこの「貊塩+レナリ」オイルを身体に塗って繕身法やってもらったら本当に疲れが吹っ飛んだ!

特に足先と股間(陰嚢)をこのオイルでマッサージすると効果テキメンだ。(足先はともかく股間は流石に自分でやったがね!)足裏と股間は身体から毒気を排出するポイントだと師父から教えられていたが、本当に「レナリ塩」は良いよ!パソコン仕事は毒気を貯めやすいから、風呂に入った時、是非試してごらん。君の腐りかかったキンタマから毒気が抜けていくのを実感できるだろう!ハハハ