論語

ユウジ、今日俺はチョット興奮してるんだ、、、ナロガは今日も風雨でね(まあ晴れたって動けないんだが)、、、それで安冨歩さんの動画を開いたんだ、、、そしたら「論語」の講義があってね、そこで孔子が弟子の子路に諭す場面の解釈があって思わず引き込まれたんだ!

なぜ引き込まれたかと言うと、俺が『あの方』と過ごした20年の間、『あの方』は折に触れ釈迦やイエスや老子の言葉を引用して俺の頑なな観念を壊そうとされたんだが、たまには論語の中の一文を使われる事もあった、、、それで論語を使う時は孔子を『あの方』御自身になぞらえ、弟子の子路を俺になぞらえた、、、なぜそうされたかと云うと、俺の元の名前は「四郎」だから、、、つまり「子路シロ」をもじって「四郎シロウ」に例えたワケなんだ、、、

子路は乱暴者で時々孔子に反抗して困らせたらしいのだが、実際俺も『あの方』を理解出来なくてしょっちゅう困らせたんだよユウジ、、、それで『あの方』が論語を持ち出して俺を諭す時は大抵俺が反抗を示す時だったんだ、、、

安富教授は女装の東大教授で有名だが、俺が彼を評価するのは全く権威というものに縛られない精神の自由を持っているからなんだ、、、これは学者としては全く稀有な存在だよユウジ。

話しが飛んだが、『あの方』が論語を使うので俺も論語を買って何度か読み解こうとしたが無学者の悲しさで全く歯が立たなかった、、、しかし今日安富教授の講義を視聴して、サッと閃いたというか、俺の思い込みが解けた感じがしたんだよ、、、

孔子は非常に単純明快な真理をいくつかの喩えを使って教えたわけで、それが論語なんだが、後世の学者はそれを理屈で解釈して非常に難解な「学問」にしちゃったんだなあ!

例えば「仁」という言葉だって、よくあれだけ解釈をこじ付けたもんだと感心するくらいたくさん解釈されているが、、、俺は仁を「観念(思い込み)を手放した心境」、、、言い換えるなら「3歳の童子に戻った心境」だと確信した、、、安富教授もそれに近い解釈を示されていて俺は独りで快哉したんだ、、、「小人閑居して不善をなす」というが、閑居する小人の俺に天がネットを使って喝を入れたんだなあユウジ、、、

それとねユウジ、今後俺が生きて行く上で指針とするものが見えてきたんだよ、、、実は今日まで俺は「公的に生きる」という考え方を持っていたんだが、それは俺の心のどこかにまだ善悪という一種の思い込みが巣食っていて、悪人である俺はなんとか人助けして償いしなければならないと思ってたんだな、、、でも実際そんな償いなど出来るもんじゃない、、、それでいつも心の挫折を繰り返していたんだ、、、

しかしこれからは何か行動する時、それが仁に基づいたものかどうかと振り返る事にした、、、残り少ない人生だがそうやって過ごす事にしたよユウジ、、、3歳の童子になってなハハハ。