動物王国

ユウが居る時もネズミがチラホラ出没してたんだが、帰国した途端、急に表に出てきてね、、、俺が台所の椅子に座ってブログ書き出すと、足元をウロウロしたり、堂々とテーブルの上までやってきて困ってる、、、

LEOはLEOで人恋しいのか傍から離れないで、中に入ると叱るから入口に顎を載せてずっとこんな感じ、、、目の前でネズミが追いかけっこしてるのに役立たずでなあ、、、

そのくせ餌だけは大食いで、、、朝食食べてると近所の大犬ピーターがやってきて物欲しそうに眺めてた

この犬は馬を飼ってる家の犬なんだが、毎日俺が眠るとやってきてLEOと遊んでるようだ、、、仲良くなって、、、まあ散歩に連れて行かないから運動にもなるしイイカと思ったら、俺の気持ちが通じたのかスタスタ寄ってきて挨拶した!

LEOも相当大きくなって20キロは超えたと思うが、ピーターは特別大きくてなあ、、、比べて見れば判るだろLEOの2倍はある、、、Pillar婆ちゃん家の犬パストールも大きいがそれより一回り大きい、、、姿は見せないが山にはウサギかイタチみたいなモノも居て、近寄ってくるとLEOは猛然と吠える、、、

ピーターが来るのは仕方ないが糞をしていくので困る、、、作業前にLEOとピーターの糞を始末するのが日課になってる、、、ピーターの糞を始末していて気づいたんだが、草が一杯入ってて、イノシシか鹿の糞みたいだ、、、馬の餌を食べてるのかその辺の草を食べてるのか判らんが、、、犬が生の草を食べるのかなあ?

今日は終日手摺りを磨いてなんとか終了、、、磨きの前と後の写真並べてみた

 

 

柱にする二本は土に埋まる部分だけタールを塗った、、、長いヤツが手摺り部分だ、、、油を塗って磨けばもっと見映えが良くなるが、それは階段に埋め込んだ後だな、、、さて明日はこれを埋め込んで足元をセメントで固定するぞ、、、アッその前にホゾ穴を開けて手摺りを付けられるようにしておいた方が良いかな、、、

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団塊世代の仲間たちへ

意識と肉体

死後、意識が何処へ行くかについては、我々の意識と肉体をよく考察してみると見えてきます。

この世は時間と空間の世界で、我々は時間と空間という制約の中で生きています。

しかし意識は時間と空間に縛られません。例えばヨーロッパに留学している孫を思い浮かべるなら意識はその瞬間地球の反対側に飛びます。赤ん坊を見て成人した時を想像すれば意識は20年先の未来に飛びます。自分の子供時代を思い出すなら意識は60年前の過去に飛びます。意識は距離も時間も関係なく自由に過去現在未来を飛び回り、我々は日常的にそれをやっているのです。一方肉体はどうでしょう海外どころかトイレに行くさえヨッコラショと立ち上がって何十秒かかけて歩かねばなりません。時間と空間の制約を受けない意識と、制約に縛られる肉体とはその能力に雲泥の差があるのです。人間の苦悩はここに究極の原因があると云っても良いでしょう。

朝目覚めて夜眠りにつくまで、意識は絶えず肉体に命令し続けます。そうやって全ての人間は活動しています。しかし肉体は時間と空間の制約を受けていますから、意識が望む100分の1いや1000分の1も実現できません。意識もそれを承知していますから、肉体ができそうな事しか命令せず、肉体ができない事は空想して自らを慰める、、、これが我々の生活実態です。

ならば死が訪れて肉体から抜け出た意識は何処へ向かうでしょう。確かな事は意識自体が望む処に向かうという事です。当たり前ですよね。なんの束縛も無くなるわけですから。

先にお墓に篭っている不成仏霊の事を書きましたが、あの例の通り、意識は意識自体が望むところに行くのです。 素朴に御自分の心に問いかけてみれば死後自由になった意識が何処へ向かうかはお判りのはずです。最も関心がある処へ向かうのです。

死に臨んで最も大切なこと、それは死の瞬間の意識の状態です。レベルと云っても良いでしょう。もし意識がこの物質世界に関心を持った状態で肉体から抜け出たらどうなると思いますか。当然意識はこの物質世界に留まります。肉体は意識を具現化する道具ですが、肉体を手放した意識は自己を具現化する方法を失ったまま物質世界に彷徨うことになるのです。俗に浮遊霊と云われる存在です。彼らは物質世界で自己を具現化する道具を持ちませんから何も恐れる必要はありませんが、実際その数は無数に居ておそらく現地球人口の何倍何十倍もいるはずです。私ががそう推察するのは今次々と旅立って行く方々を見て、ほとんど死ぬ準備ができないままの方が多いからです。

ほとんどの宗教が執着からの脱却を説きますが、もはや本末顛倒で宗教自体が教団維持に執着している有様で話になりません。執着とは「物質的な関心」なのですが、そこから脱却するには信仰でもなく祈りでもなく、自分自身が死と生の意味を納得して、はじめて成し得る事なのです。